リカーシブル
マイ フェイバリットゥ オーソーであるところの
米澤穂信作品最新作「リカーシブル」読んだので、少し"感想っぽい"もの書いておく。
※感想とはいえない記事です。
リカーシブル(新潮社)
『あのボトルネックの感動ふたたび!』という売り文句をしていたリカーシブル。
小説新潮での連載作品だったので、最初から単行本化を待っていました。
「折れた竜骨」が刊行されたあとに「儚い羊たちの祝宴」という作品を読み、米澤穂信さんにドハマりしました。
折れた竜骨以降読み始めたということは、僕が米澤穂信ファンになってから刊行される、初めての長編作品ということになります。
穂信さんの作品を読むのは「追想五断章」を半年ほど前に読んで以来です。
読み始めると、米澤穂信さんの作品に溢れる丁寧な言葉遣いが久しぶりで、その丁寧な言葉遣いから感じるなんともいえない心地よさが懐かしく、嬉しい気持ちになったのを覚えています。
主人公は中学生になったばかりの女の子で、越野(えつの)ハルカという。
ハルカは母親と弟のサトルの三人家族で、母親の生まれ故郷に引っ越してきたところから物語は始まる。
ハルカは不安だった。引っ越してきたので友達も居ない。中学入学と同時に引っ越してきたので、もしも学校で嫌なことがあったら誰も助けてくれない…。しかしハルカがクラスから特別浮くことはなかった。
むしろ嬉しいことに引っ越してきたハルカに別け隔てなく接してくれる仲のいい子も出来た。
学校が始まってさっそく、その子に町を案内してもらうことになったのだがそこで不可思議な事件を幾つも目にする…。
そしてハルカは思う。この町は何処かおかしい――。
ボトルネックという作品を読んでいる時、主人公の暗い心情や街の雰囲気から『この作品のイメージカラーは灰色だ』、と強く感じた。
僕は作品を読んでいて『この作品はこの色だな』なんてイメージカラーを充(あ)てるようなことは滅多にしないけど、ボトルネックはどうしても灰色を充てたかった。それだけはっきりと心に届き、グレーなんてはっきりしない色を滲ませるほどの凄さ/良さがボトルネックにはあるということ、なんだろうと個人的には理解している。
さて、このリカーシブルはボトルネックと似たタイプの作品だと思うのは、(個人的には)まぁ間違っていないと思う。
しかし『ボトルネックのような作品だ』という先入観を持って読み始めたのかといえば、そうではなく、「それはない」と断言できる。
そういう状態で読み始めたのに、リカーシブルからは溢れんばかりの灰色を感じた。
その灰色と対比して―主人公のハルカに関して言えば、割りとポジティブで、人当たりもよくて、この作品の暗い雰囲気に負けないほど輝いている。「ハルカ」という人に色を付けるとしたら、「ピンク」を付ける。ハルカ=ピンク。
『灰色の世界に一点だけ塗りつぶされないピンクがある。』
そんな風にイメージしてもらえば、その一点(ハルカ)がどれだけ強い人で/孤独で/弱い人なのか、わかってもらえると思う。
……主人公のハルカについて僕なりに感じたことを書いた。
次は内容から感じたことを書きたいところだが…。どうにも内容を覚えていない…ので、書けません。
なんとか短く書くと、
町の違和感、町に伝わる伝承、弟の記憶/発言、タマナヒメ伝承、過去にこの町で起こった事件…。
全てが絡みあって物語の真相があばかれる。
ベタベタっぽいけど、わりとこんな感じだと思います。